「夢は高野を」  瀬間文乃

夏、高野山へ3度目の旅をした。
ケーブルカーで山頂へ運ばれ、そこから今度はバス専用の道路を下ってたどりつく、空海がひらいた真言密教の聖地である。
今回も、よくもまあこんな格好の土地を見つけたものだと感心する。超掘り出し物件。八つの峰にぐるりと囲まれた平地は外界からはそこにそんな平地があるとは誰も思わない山の中に突然ひらける。険しい峰を越え登り詰めてやっとの思いで頂上に立った空海は、反対側を見下ろしてあっと叫んだかもしれない。自分のためにこそ山深く隠されていた特別の土地、と思ったかもしれない。狩猟の民やまたぎのような人にこの地の存在を教えられたのかもしれないが、山野を駆けめぐっていた空海自身が巨木の枝が重なる合間から約束の場所を発見し、声をあげながら駆け下りて行く、そんな想像が湧いてくる。816年嵯峨天皇より高野山開創の勅許を得たと歴史は伝えている。以来まもなく開基1200年を迎える人里離れた山奥に突如現れる宗教都市。そこに降り積もった時間の重さは人間の営為の集積である。時の権力者との確執や繋がり、内外に渦巻く権謀術策や他の宗派からの攻撃などの栄枯盛衰をへて、いまだに聖都でありつづけるというのは凄い。そんな思いにしきりに誘われるのは、辺りの風景が特別だからである。
ともかくお寺と杉の大木しかない町、そのお寺一つ一つがそれぞれ実に堂々としていて、なかには小堀遠州の庭を内に抱えている古刹や、快慶(?)など名工作の本尊を持つ名刹もあっていかにも格式を誇っていそうな有難さ。特に藁葺きの屋根などメンテナンス費用はどれほどかと余計な心配をしたくなるほどの立派さ。そんな近寄りがたいほどのお寺が140ほども散在するというか、そんなお寺からできている町である。お寺の広い敷地には杉の大木が林立しその先は背後の山々へとつづいて、季節によって狸など動物が下りてくることもあると、これは泊まったお寺(宿坊)の奥さんの話。ともかくどこへ視線を遊ばせても映るのはお寺か樹木か、巡礼装束の人かお坊さん、年配の観光客、外国人がちらほら。派手な看板や奇態な若者や奇妙な欧風住宅や原色がひしめく店舗や雑踏や金満高層建築など、見たくもないものを見ないですむというが嬉しい。
地味な商店街がかろうじて現代風といえばそうで、強引に人目を引こうとする作為のない淡々とした物静かさが、町の佇まいを独特のものにしている。だから時間が止まったようかと言えばそうではなくて、1200年の時間がひと繋がりなものとして感じられるのが不思議だ。弘法さんの逸話もお大師様の言葉も最近のできごとのように語られていそうな雰囲気の中で、後白河法皇や北條政子の筆がなまなましく感じられるし、金剛峰寺の豊臣秀次が割腹した一室の前に立てば、胸が詰まるような思いに戸惑うし、歴史が目の前に立ちあがってくるような幻惑は、空海が仕掛けてたくらみがいまも脈々と息づいていることの証なのか、どうか。しかし最近では、お寺の権利を売り払ったお坊さんも出てきたというから、下界の俗世の波をさばく新しい工夫と知恵が求められているのかもしれない。