半歌仙「コズミックなの」の巻

高千穂の雲切れにけり暮の秋   千年
 月呼びたるか発鴨の声       文乃
そぞろ寒ロングスカーフ引き上げて  青玉
 むいては母と分けて食ふ柿     あすか
飽きもせず扉あけんと挑む猫     しづ
 海の向こうで変る政権        文乃

出会ひとは味なものだね夏の風   青玉
 夕顔の前扇差し出す        しづ
僧院の回廊でする鬼ごつこ      文乃
 もうかけないと電話をにらむ     あすか
我が恋のダークサイドに潜む憎    文乃
 コズミックなの弾けて笑ふ      千年
住めますか地球の他に月冴ゆる   青玉
 吐く息白し長き行列        文乃
ゲバ棒を持つて待つてるエキストラ  千年
 テレビ見ながら家族団欒      しづ
花を待ち人待ちながら過ごしたる   あすか
 佐保姫に抜く美味いシャンパン   文乃

(千年捌 平成21年10月25日(日)首尾 於・西荻窪遊空間)

 
 オモテに恋はご法度だが、「母」は「女」なので「恋」ということにはせず巻いていったら、コズミックに弾けた半歌仙となりました。発句から晩秋が三句続いたのでなんか落ち着かず秋(三秋)をもう一句。ストレートな気持ちのいい句がポンポンと飛び出しておもしろかった。式目に苦しむのもよし、自在に付いていくのもまたよしの秋のひと時でした。「野ざらし紀行」の時代背景を少し調べたので添付しておきます。千年

 
 芭蕉野ざらし紀行に旅立った「貞享元年(1684)、幕府は山城・大和・摂津・河内・近江の御料・私領に、川筋の山において開畑や山畑を禁止し、造林を命じた。山林の乱伐や開墾によって土砂が流出し、流域で洪水の危険が高まったからである。近世初頭からの旺盛な経済発展と木材需要が惹起したものである。この通達は淀川・大和川の流域が対象で、吉野川流域は除外されているが、京・大坂・奈良などの近郊山林の迅山現象が、吉野林業地帯の材木生産に拍車をかけたことは明らかである。 『挿画吉野林業全書』によると、吉野川中流域から支流高見川の流域では元禄年間(1688〜1704)に植林が始まったという。」。吉野川の浚渫も延宝8年(1680)に行われ「吉野川の奥地からも流筏が可能になった。」(『近世吉野林業史』谷彌兵衛著 思文閣出版 2008年1月30日刊)

 野ざらし紀行に「独りよし野のおくにたどりけるに、まこと山ふかく、白雲峯に重なり、烟雨谷を埋んで、山賤の家処々にちいさく、西に木を伐音東にひゞき・・・・」と書かれていますが、吉野林業勃興期の情景だったのかも。
 同じ頃、熊澤蕃山は「天下の山林十か八つき」と尽山現象を訴えています。また、延宝7年(1679)には大和郡山城城主松下信之に招聘され治世にあたっています。寛永年間(1624〜1644)に成立した俳書「毛吹草」は全国68国から1800種を超える名産品を記載しているそうですが、「松角」「杉丸太」が大和の名産品として記載。『農業全書』宮崎安貞(元禄9年(1696))には、よい杉種の出るところとして、上野・丹波・吉野をあげている。いずれも『近世吉野林業史』から。