からみあう心  市川千年

 昨日(19年10月12日)、明治大学公開文化講座「声なきことば・文字なきことば」第2回「声なきことば:テレパシー研究の真相」(石川幹人(まさと)明治大学情報コミュニケーション学部教授)を聞きに行った。もちろん、おもしろい今風の連句解釈に役立つ言語に出会えるかと思ったから。ESP(超感覚的知覚)、千里眼研究(1910〜1911(明治43〜44)で東大を追われた福来友吉教授は現在は復権しているとのこと、念写をThoughtgraphyということ、コンピュータ学者・後藤以紀氏は心霊科学協会の会員だったこと、古典的な物理学の世界観にとらわれすぎていること、1984年に証明されたという量子物理学の「からみあうという新しい物質観」、「可能性が重ね合わされた」、「AB二つの物質が出会い分かれた後、遠く離れた二つの物質がからみあって遠隔的に相関する」、「過去にさかのぼるようにして固定される」、「物の<外部>の心への応用はまだこれから」、「量子の宇宙でからみあう心たち」(石川教授翻訳、徳間書店)、「テレパシーは因果より相関、物心両面の全体論的な心観、個別に隔離されている人間や「心の箱仮説」からの脱却、東洋思想への注目(集合的無意識)」等々生かじりとはわかりつつ刺激のある講演だった。

「無意識の響き合い」という言葉も科学者・石川教授から出た。4枚のカードの場合、偶然性の確率は25%だが、ガンツフェルト実験(全体野法)(だったと思う)では当る確率は32%(膨大な数の実験の蓄積による)という結果もおもしろかった。「心は量子で語れるか」(ロジャー・ペンローズ)という本も昔買ったまま読んでなかったのも思い出した。

 明治39年明治大学の文科ができたときの教授陣のスライドが映されたとき、8人くらいだったか、福来教授は一番左端、右端には芭蕉会議で初めて知った、西洋美学をわが国に知らしめ、「文芸上の真」を明治44年に執筆(「芸文」9月)した深田康算博士が、哲学概論 文学士として名を連ねていた。ここで深田博士の名が出てくるとは!眠気が吹き飛んだ。深田康算年譜によると、「明治36年(1903)二十五歳で明治大学の授業を嘱託される。「帝国文学」の編集事務をとる」。明治39年は「九月、第一高等学校より倫理および論理の授業を嘱託される」とあった。