ああノ会連句、爛柯編集部ー歌仙「ゑげれすいろは」の巻
ゑげれすいろは
冬いくたび鏡の我を手なづける 那智
紡錘形の静物の罠 南天
むささびを天井裏に棲まはせて 蓼艸
暴風に乗り児が飛んで行く 手留
ぶっちぎれた月も時折顔を出し 夏生
青蜜柑の皮千切りの朝 宏
ウ
深秋に訪ねむ伊那の俳諧師 浩司
べったら市に富士額ゐる 蓼
唇も指も冷たき姉妹(あねいもと) 那
つたなく醒める鵠(しろとり)の湖 仝
奸計を水平線に走らせて 蓼
課長補佐にて了る生涯 手
崖下路地裏三軒長屋の夏の月 夏
地黒の孫にシッカロールを 宏
山頭火気取りていざや蝦夷の地へ 蓼
フランスパンの生地のこねすぎ 浩
花晴れて「天使旅す」と言ひ伝へ 宏
サックス吹けば虻がまつはる 蓼
ナオ
息の音をうかがふ遊びつちぐもり 那
あれは「上海から来た女」です 夏
夜の靴光らせ踊り明かしたり 南
あひみて後の新雪の野よ 那
脳外に脳内革命ふつふつと 浩
私の弓は小笠原流 仝
群衆の中の孤独ぞ半夏生 蓼
壁の崩れに白き十薬 手
甘酒を食らひ浄土に寝入らむか 蓼
左の腕に寅次郎命 宏
こよひまたよかお月さん出とらして 那
夜寒の港死にたくもなし 宏
ナウ
いつはりの世に貧しきは美(は)しかまど馬 夏
魚沼産のコシヒカリ高値 宏
寒鰤の頭(づ)をばどっとぞ落としける 蓼
蛙しみこむ闇の腸(はらわた) 浩
花の中の万の瞳に見つめられ 夏
「ゑげれすいろは」清明に照る 那
(夏生捌 平成八年十一月二十四日首尾 於東京中野・如庵)(爛柯三号)
ナウ二句目「魚沼産のコシヒカリ高値」を付けた宏さんこと粉川宏さん。週刊新潮「黒い報告書」の作家。自分の師は三島由紀夫と福田恒存であるとおっしゃられていた。旧制足利中学の師である丸山一彦先生(宇都宮大学名誉教授)と「わたらせ連句会」も結成されている。「国定教科書」、「コシヒカリを作った男」(いずれも新潮社刊)の作者でもある。宏さんの奥様のお父様は高橋浩之氏。高橋技師は新潟県農事試験場でコシヒカリを生み出された方である。(千年)
○発句は悲しい句だ。
冬がまた来て、冬の鏡の中の己れといやでもまた出会わねばならぬ。年々衰えてゆく、納得できない鏡のわれを手なづけ、納得する。いったい幾たびそのわれに出会ったらいいのだろうかー。
○ふと、はる雨や鏡に向ふ晝旅籠
という句を思い出した。井月である。こちらは春。いとものんびりした句だ。懐ろ手から不精ヒゲでも撫でているのではないかしら。冬と春と、季節はこんなにも人の気持ちを変える。
○井月といえば、ウラに入っていきなり、伊那の俳諧師が登場したのには(若い、未だ青年の顔を持つ、浩司さんの句だけに)驚いた。
○私の知っている伊那の俳諧師には二人いる。我が師・牛耳、また明雅、瓢左に蕉風の道統をつないだ芦丈先生(私は孫弟子に当るが残念ながら写真でしかお目にかかった事がない)。そして、幕末明治の伊那谷の、ご存じ乞食俳人・井上井月だ。
…………
○山頭火はその死の一年前、積年の念願だった伊那は美すゞ村の井月の墓に詣でている。
お墓撫でさすりつつはるばるまゐりました
○四十年ほど前私も辿った道だ。山襖に限られた深い青空の下を青年も又さすらって来たという。