爛柯通信その四「風信子十八号/未来の風」 村野 夏生

 ご存じ俳諧小冊子『風信子』。
 十八号は実は、この世に存在しない。
 月に一度の〝月並〟の会の作品発表を目的としたそれは十七号(平成四年・壬申)で途絶えた。『杏花村』百号は百韻を踏んだ。『風信子』十八号を十八公になぞらえて終ろうナンテ気概も洒落っ気も、もうその頃の連衆にはなかった。解散。平成五年一年十二ヶ月の歌仙はそのままわが三階屋根裏の筐底に。
 たまたま機会あって久し振りにその筐底を探れば歌仙と散文、風のナゴリの十八号うめきを上げて陽光を待っていたではナイデスカ。ポツポツ本誌に拾って頂くことにしたが、お目汚し、よろしくお読み捨てのほど。


〈未来の風〉

 明けばまた越ゆべき山のみねなれや空行く月のすゑの白雲
                                 家隆朝臣
  
 新古今のやさしい歌のひとつを思い出した。この歌、道造がどこかで引いていたように思う。ある時ある人からの賀状にこの歌を見出して、あわてて新古今和歌集の頁を繰り、立原の全集を買いに走った。賀状などめったに書くことのない怠け者が、四、五年はこの歌を盗んであちこち出した記憶がある。
 思い出したのは、最近改めて身を入れて読みだした去来先生の次の一句に出会った時。

 をと々ひはあの山こえつ花ざかり   去来

 翁に「此句今はとる人も有まじ。猶二三年はやかるべし」といわれた句。翁「よしの行脚の帰に立より給ひて、日々汝があの山越つ花盛の句を吟行し侍りぬと語り給ふ。」と『旅寝論』にある、いわば去来自慢の一句だ。だが『去来抄』には「道よりの文に」とあるから、翁が帰りに立ち寄ったというのは怪しいねーーと尾形仂さんは言う(落柿舎蔵版・去来先生全集)。昔の人はウソツキだ
 尾形さんは続いて俊成卿を引く。

 おもかげに花の姿を先立てて幾重越えきぬ峰の白雲
                                俊成

 この古歌との交響の上に立って、去来の線の太い自然観照を説いている。成程。こういう歌があるのか、と僕は自分の思いだした歌のトンチンカンさに苦笑したが、口をついて出るのはやはり〈明けばまた〉であった。
 この歌が好きなのは前を向いていることだ。
 『旅寝論』の中には、「未来の風」のことが書いてある。「句々にあたらしみをさがして、いまだ人の行ざる場をふ」んで、さあ、超ゆべき山のほとりに、未来の風を起こそうよ。(爛柯五号)