風交・連句がゆく

 夏生さんが上記爛柯四号「爛柯通信その三」で紹介された、第一回俳諧時雨忌での「冬がれ」の巻を、捌の野村牛耳氏の自註自評を加え紹介する。「野村牛耳連句集 摩天楼」より。(千年)

   
    冬 が れ   第一回俳諧時雨忌

オモテ
冬がれや世は一色の風のおと      翁
 凍つる汀に黙す老漁夫         牛 耳
棟上げの盌を灯りに透し見て       南方子
 二言三言胸につぶやく          圭 草
山深き郷のたよりは月のこと       空 花
 白曼珠沙華燃えるすがたも       恭 子
ウラ
百舌招く甘柿甘く熟れてゐて       健 治
湖に臨める阿弥陀千躰            南
宵々に板橋わたりゆくは誰ぞ         南
 二階の窓にいつも顔あり           恭
紅皿のべにをこぼさばひろがらむ       草
 曝書の山をくづしつつ読み          恭
イエティの影雪渓の月に消え         耳
 襖隣りにキイ叩く音              花
決断の裏目に出たる先議権          南
 方向オンチ耄けし番犬            治
嵯峨祗園醍醐清滝花の中           南
 春眠浅き興亡のあと              治
ナオモテ
遠足の黄なる帽子の列つづき         恭
 ウーマン・リブと幼な児のいひ        草
スラックスぴったりすぎし前うしろ       耳
 四十を越えて知りあへるひと         花
地球儀をまはし眺むる松の内         恭
 水吸ひ上げる肥後の水仙           南
町角の石油スタンド人気なく        徒 司
 救急患者長く待たされ             恭
繰上げの議員左にバッジして          治
 それやこれやで話す最中            南
雑草の新駅かこみ月と虫            草
 手漉きの秋に楮切りだす            治
ナウラ
ながながと皮をたらして林檎むき        恭
 インターホンの訪ひの声            恭
アルヌーの水濁りたるフロレンス        南
 飯を啖ふは事のなきとき            南
花に会ふわれわが魂を見つめつつ       耳
 蝶のやすらふ紹興の甕             花


(昭和四十六年十月十日首尾 於青山『いろは』牛耳捌)


  自註自評

 起句と脇 時雨忌張行だから芭蕉翁の冬の句を起句に据え、慣例によって捌く私が脇を付けた。こういう形式を〝脇起しの連句〟といっている。
 一般的には、脇は起句に対して同季同刻同場所といわれ、起句が人情なしの場の句のばあいにはやはり人情なしの場の句を付けるべきだとされているが、私は特に人情ありの句を付けた。この老魚夫はきっと貧しく、視線が力なく凍てつく湖の汀に落ちていることだろう。そういった情景が芭蕉翁の蕭条とした冬がれの句にピッタリ付くと考えたからである。

 第三 歌仙一巻中でもっともむずかしい句座だ。

 月の句 第三に「灯り」という夜があるので、現実の月は付けられない。その意味を説明すると、すぐこの句が付いた。連句では、こんなのを〝蔭の月〟と呼ぶ。

 ウラ 五句目、
 紅皿のべにをこぼさばひろがらむ
 意味があるようでないような、ひどくぼんやりした句だが、これによって前句の窓にある顔が若い女であることを暗示する一方、なんともえたいのしれない詩情を醸し出している。ここに連句のおもしろさがある。
 
 七句目 淡々と流水のように進行してきた代りに、変化に乏しい。そこで私が波瀾を求めて殊更突飛な句を付けた。イエティはヒマラヤの雪男のことだ。前句の曝書の中から報告を見付けた。

 八句目 以下折端までは緊張感がある。一巻の正念場といっていいだろう。

 ナオ 五句目 再び淡々とした句がつづく。この句は四十をすぎて知りあった二人が地球儀をまわして希望ある計画を語りあうというほお笑ましい情景を描いて、恋上がりの句として上々の付けだと賞賛していい。

 九句目 前句と同じく世の中のチグハグを揶揄した句。対照の付けである。

 十句目 ヤリ句である。この句の持つ効果をよくよく玩味してほしい。

 ナウ 匂いの花 記念興行で脇起しのようなばあいには、捌いた人が最後の花を付けるのが慣例のようになっている。それゆえ私が付けたのだが、全巻を通じて平坦な句が多いのでわざとヒネってむずかしい句を付けた。均衡をとるつもりなのである。

 挙句 紹興は老酒の名産地。