爛柯通信その三「ソット・ヴォーチェ/俳諧時雨忌のこと」 村野 夏生

武満徹の愛弟子、細川俊夫の書いたものを読んで、ソット・ヴォーチェ(sotto voce)
なる言葉を知った。もちろん音楽用語で、細川によれば、これは、
ーー声を高くあげないで、靜かに優しく、しかししっかりと歌うことを要求するのだ、
という。そして彼は自分の仕事が「ソット・ヴォーチェ」のような表情を持っていればいいと思う。
ーーたった一人の人でもいい。自分の音楽に耳を澄ませてくれる人に、小さな声で、しかし、確実に自分の歌を届けていきたい。(岩波書店『魂のランドスケープ』)
 ソット・ヴォーチェ。何と美しい言葉だろう。
 そしてぼくも又、一人ならぬ、かくも多くのぼくらの支持者の耳に、心に、靜かに優しくそしてしっかりとしたぼくらの歌を届けたいと念願するものだ。

○時に、信子さんに一句あったので付けた。
  ヴォイス・レコーダー海中にあり     信子
 ソット・ヴォーチェ深く靜かにつぶやける  夏生
           (『片思いも恋のうち』の巻)

○翁の句に〈月いづく鐘はしづめる海の底〉

 芭蕉さんの鐘は逆さまに海中に沈んで無韻の詩というか沈黙の響きともいうべきものを世界中にひびかせている。海中のヴォイス・レコーダーまた同趣だがこちらはその周辺に墜落四散、浮遊している飛行機の破片を思わせる。そうだ、世界はもう破滅しているのだ。しかし、声は、ソット・ヴォーチェなる指示を受けた声は、深く靜かにつぶやかれねばなるまい。

○「第一回俳諧時雨忌」のことをチョット語ろうか。生来の愚のおぼろおぼろの聞き書き。誤りは即ご叱正下さらんことを。
 滋賀の大津の義仲寺の昭和再建は昭和四十年の十月十二日であった。保田與重郎氏や三浦義一氏の尽力のことを遥に聞く。寺は成ったが、同時に翁の希求された俳諧の、昭和復興のことが残った。六年がたった。昭和四十六年十月十日、東都の一隅で開かれた「第一回俳諧時雨忌」の催しもその昭和俳諧復興の流れを開く試みの一つだったろう。主催・義仲寺。義仲寺保存会の大場勝一氏や都心連句会の杉内徒司さんらが東西奔走して東都五十人ほどの「俳諧同好の士」に案内を出したという。(今リストを眺めれば、牛耳瓢左(斎藤)石鼎以下、懐かしい顔ばかり。今二十四回にご出席の東明雅先生の名も)

○会場は東京・青山の牛肉店『いろは』。当日は冷たい氷雨だったが、二十八人が集まって四席に分かれてそれぞれ歌仙を張行した。当日、野村牛耳先生の「冬がれ」(『摩天楼』所収)の席に連なった林空花氏は次のように感想を述べている。
ーーこういう集まりにありがちな、ジャーナリスチックに騒々しい気配はどこにもなく、文学の地下(じげ)にながれているもの、というのは、つまり当今流行の売文、点取の様相はどこにもなく、俳諧という文学の法楽に専念して……(以下略)。(『行々子』所収)(爛柯四号)