百韻首尾「破れジーンズ」の巻

初夏の風網戸を抜けて心太       木々
 羽化する蝉の背に光るもの       信子
十万枚目の日灼け少年の髪ながれ    夏生
 破れジーンズ洗ふ昼過ぎ         三津子
国境を羊の雲と共に越え            夏
 ワイングラスに受ける満月          信
鳳仙花世界まるごとモニターの中       木
 あっという間の秋のウィルス          信

浜夜明古代クジラの化石拾ふ          夏
 骨洗ふ手も透き通りゆく             信
「好きになり生き方変えたことあるの?」    木
 雨ニモ負ケテ風ニモ負ケテ           夏
スキップで赤い絨毯登りつめ            信
 鼻先に貼り脂肪とります             木
花散る坂立原道造記念館             夏
 設計図にも揺れる陽炎              信

(夏生捌 平成九年六月八日首尾 於東京渋谷・種月庵)(爛柯二号)

   
    留書「魔法のカクテル」   上原 木々

 どうしてもやめられない悪い趣味をもっている。のぞきだ。
 といっても、私ののぞきは、女性やカップルではなく、本なのだ。電車の中で見ず知らずの他人が読んでいる本をのぞく。人がどんな本を読んでいるかは私的なことだからのぞくのは良くない。わかってはいる。わかってはいるが、なかなかやめられない。他人の読書姿には、独特の魔力がある。

 人が読んでいる本は面白そうに見える。とくに、クスクス笑っていたり、涙をこらえていたり、五分以上顔を上げないでのめり込んでいたり、やたらと傍線をひいていたりしたら、もうダメ。題名は何?著者は誰?知りたくて知りたくてたまらなくなる。ところが、多くの場合、人は表紙を見せないし、角度からしても表紙は見えにくい。だから本を立ててページをめくる一瞬を見逃すまいとジッと見ている。それでもチラッとしか見えない。

 そばに近づく。相手が座席に座っていれば、前に立って上からのぞく。立って吊革につかまっている場合は横に立ってのぞく。後で探すための手がかりを見つけるのだ。ページの肩にある章題を読みとる。二、三行読んで文体から当たりをつける。文中に出てくる人物の名前を覚えておく。何やってんだ、と不審がられることもたびたびだ。

 つい二、三日前、私の前の席に小学校四年生くらいの少女がお父さんと座った。麦わら帽子のゴムをあごにかけ、ブルーのワンピースを着ている。席に着くなりバッグから本を出すと、しおりを取ってページを開いた。終わりまでわずか数ページのところだ。早く読みたかったのだろう。すぐに本の世界に入っていった。ニコニコ笑っている。目が文字を追って上から下に、上から下にと動く。100%本の世界に入り込んでいる顔だ。こんなに少女を夢中にさせるのはどんな本だろう?知りたい。本をひざの上に置いているので表紙が見えない。

 「ゲヘン」咳払いが聞こえた。私の隣のお年寄りが私をにらんでいた。ロリコン趣味の中年男に思われたのかもしれない。

 しばらくすると少女は読み終わった。本を閉じて父親を見上げた。父親は寝ていた。本について何か言いたかったのだ。少女は本を最初からパラパラとめくった。それから彼女の体と同じくらいの巾の本を両手で抱きしめた。その時になってやっと本の題名が見えた。『魔法のカクテル』。