爛柯通信その一「天上の花」   村野夏生

○一句はもちろん。
 二句行間に生まれる詩を楽しむ。
 三句目に転じあり。そして、
 メンあり、オリあり、
 断片詩つながって、多様性の一小宇宙が成る。「三十六歩、一歩も帰らず」がこの町の通行手形(パスポート)である。
○対話詩である。
 断片詩である。
 巡遊詩である。
 森羅万象を唄へという。
 四季を通底して同時代の詩を唄へという。
 一巻を通じて同じ事を繰り返すなという。
 月花恋は別という。
○新しみは花という。
 すべてのもとに、付合という方法がある。
 〈付合は老吟が骨〉
 とは誰がいった。
 いざ、行って
 二句行間に生まれる詩、
 二句天上に開く花を見よう。
○おお雲雀 定形否とよ非定形  那智
  能面の裏穴ばかりなり      寥艸
         (爛柯一号・『天国自由切符』の巻)
 さて、揚雲雀名乗り出で、光の野が出現する。出発の日にふさわしい。おお雲雀 である。それにしても定形とは何だろう。雲雀の空にチチと囀る声はここはたかしこと定まりない。定形はいってしまえば五七五だ七々だ。形はそれに従っても、心はいつも非・定形。
 これ、非定=否定・形と音が通うのも面白いね。俳諧はすべからく、ナイン、ナイン、ナイン、ナイン…の連続じゃ。
 そして付いたのは何と能面の裏。開放された雲雀の野に対し能面の裏という、閉ざされた小空間を対比する。大ー小、開ー閉の感覚。だが、その細密な面裏の小空間にも穴があるという。穴はどこへ通じているのだろう。ベビーユニバース?ホーキング博士にこの味を味あわせるわけにもいくまいて。
 台上に竹生島の形を掘り下げ、それに満々と琵琶湖の水を湛えて、島の持つ量感を水に表現させた「竹生島」という現代立体作品を面白く見たことがあった。雲雀の声の、非定形の野と能面の裏の空間の感覚と同時代の空間論の面白さ。自在な付合とはいえないだろうか。
 それにしても歌仙『天国自由切符』は、那智・寥艸二人の手錬れによる丁々発止の付合に息を呑まんばかり。けだし平成秀唫のひとつであろうか。(爛柯二号より)