ああノ会連句、爛柯編集部

   歌仙「思ひ寝」の巻    夏生捌
  
 炎天やなかぞらに河立ち上がる      那 智
  海のかなたの英雄(ヒーロー)の夏    手 留
 空蝉の爪ていねいに外しゐて        さなえ
  生の始めを記憶している          夏 生
 濁り酒月に喇叭手たりしこと         蓼 艸
  墨絵ほのかな捨扇なり            宏

 爽涼を奏でつつ矢は飛べりけり         蓼
  残る燕に小次郎の笑み             宏
 ロスチャイルディアナの紅を思い詰め      那
  岬回りの驢馬の幌馬車             夏
 ブラックホールに淋しい木霊が棲んでゐる   さ
  グスタフ・マーラー片眼鏡拭く         手
 六匹の狐が開く丘の句座             夏
  冬の梨噛む月の味です             さ
 回転ドア少女ふはりと弾きだし         蓼
  系図たどれば不良ばっかり           手
 思い寝の死貌あれば花ぞ降る          那
  うららにゆるるしづかなる耳           さ
ナオ
 鱗粉を散らして蝶は鴟尾を越え         蓼
  郵便局を探してゐます             宏
 数万の女人並びて比良坂へ           手
  男たたんでポケットへ入れ           蓼
 はたはたと褌幾旒朝風に            仝
  参院選の仔細いかにと             那
 ペグマタイト鉱床亀裂に瀑布見つ        さ
  デ ンシャかデンシャか発音平板化      手
 透水性舗道の乾くスピードで           夏
  スーパールーズソックス駆ける         さ
 脳髄の隅々までも月光に             夏
  雁の棹より一羽射落とす            蓼
ナウ
 憑神にしたがう熊野力草             那
  凶作の村ひそとしづまる             手
 ごめんなさい白い石しか産めません       さ
  いいのいいのと流氷が言ふ           蓼
 やはらかきものと目覚めぬ花の昼        夏
  春の地球を包むクリスト             宏

(平成七年七月二十三日首尾・於東京中野如庵)


留書「デスマスクの話」
初折の花を枝折りの花と呼ぶ。その枝折りの花が凄かった。「思い寝の」と来る。
何を?誰を?と誰しも思う。
そこへ思いもかけず「死貌あれば」と、ばっさり。艶冶から死の深淵へと一息に。限りなく死の降る世界である。
「死貌」から思いが流れた。
デスマスクの話をしよう。
いつか、南紀白浜、潮音天籟海へ突き出た番所山頂樹林の中の南方記念館に寄ったことがある。
「エンサイクロペディアに足の生えた」と言われた世紀の大博物学者で奇人中の奇人でもあった、南方熊楠翁の資料館記念館である。若い女性と家族連れでさざめく一室に翁のデスマスクと作者死のため一箆一触を遺した未完成の胸像。共にかの保田竜門作という。
へんな言い方だがこのデスマスクが何とも言えず素晴らしかった。深く耳の下まで取り込んだ作りがギリシャの古哲のごとき翁の風貌を伝えて余す所がない。
「紫の花天井に」昭和十六年暮の二九日午前六時半巨人南方熊楠息を引きとる。「デスマスクを」と言われた竜門が到着するのが夜十時。挨拶して翁の顔を撫でクリームを塗り始めて朝三時迄。終わって竜門一言「聖者の顔」と洩らしたそうな。翌日遺志による脳解剖。脳溝極めて深く、重さは常人を百二十五グラム超える千四百二十五グラムだった。
話が逸れた。
翁のデスマスクにはきびしさ。一句の「死貌」には深い悲しみのエロティシズム。「しづかなる耳」がそれを受ける。
付けたのはまだ少女の匂いがいっぱいのさなえさん。「耳」は主人公のものか、死者のものか、伺いそびれたまま頂いた。(村野夏生)
(中谷孝雄主宰俳句文芸誌「鈴」14号ー中谷孝雄主宰追悼号より。編集人・吉本昌司、発行人・伊藤桂一、発行所・鈴の会(新学社内))