歌仙行第2章「未来の風」より(初出「俳句未来同人」平成8年4月号)

○それなんだ!お前の小脇に核弾頭/少年夢見る風呂屋の番台
 イリオモテヤマネコの住む闇を行く/明るい血出る僕の傷口
 前者は去年二月の「ザ・連句'95」(主催・大下さなえ)の、後ろはホンの少し前この二月の「連句フェスティバル」(主催・青木百舌鳥)の、共に池袋の東京芸術劇場大会議室に大学生それぞれ百人集めての、一大連句大会での付け合いである。面白い。平成の俳諧連句の隆盛を夢見させるに十分な付け合いといったら言い過ぎか。正直にいって大学生達の表現は全く未だしの状態だ。しかし、それでいいのだ。五・七・五と七・七の二つのユニットを使っての対話詩の面白さ、二句天上に開く花の美しさを体で知ることーそれが連句入門の第一課である。若い座の上を吹くのは現代の、同時代の風だ。思いは現代、感覚も現代。ただそれがなかなか言葉にならないけれども。もう、床屋俳諧、サロン俳諧、〈火遊びのつもりがいつか本腰に〉の時代ではないようだ。
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○……いわく「たとえば歌仙は三十六歩也。一歩も後に帰る心なし。行にしたがい、心の改は、ただ、先へゆく心なれば也」。つまり、どんどん歩かなければならない、ということだ。

○複数の感受性による共同制作の座、二句の付け合、三句のわたりの変化(つまり、打越を避けること)については既にご案内の通りだ。そこにこの「三十六歩、一歩も帰らず」を加えれば、俳諧の力学の骨組みはほぼ定まるとぼくは思う。……