歌仙「天国自由切符」の巻


 蒲公英の余せる乳の冥さかな      夏生
  二輪車で往く桃園の路地         宏
 おお雲雀 定形否とよ否定形       那智
  能面の裏穴ばかりなり          蓼艸
 青騎士の生れけり蒼き月満ちて      宏
  潮のリズムに秋を聴く人          夏

 氷川丸より鈴江倉庫へきちきちと      蓼
  いとけなけれど愛の小夜曲         那
 かくなれば刺すよりほかはありません    夏
  混線電話「コルト入荷す」          宏
 今日も今日も解析概論老教授         那
  マルテの手記に挟む臍の緒          蓼
 ヒポポタマスの耳と眼と鼻月暑し        夏
  新樹靴擦れ遅き弁当              宏
 今生の蛍の海を父と母             蓼
  天国自由切符懐中               那
 八街の道を花びらまろびゆく          蓼
  蒟蒻植ゑる貴公子の臑             夏
ナオ
 ポケットに熊のプーさん牧開く          蓼
  いづこ目指せる果実酒の酔           那
 玉霰旅客機すべて鳴り出づる          蓼
  橋の上ゆくゲンゴ・オオタカ           夏
 受け唇をくっきりと描く昼下がり         宏
  一目惚れなり尽くすばかりよ          那
 夏安居あの乳房またかの乳房          蓼
  CTスキャン癌が満杯               夏
 領収書ためつすがめつ明石町          宏
  三鬼は死して石榴残れり            蓼
 思い羽も風切羽根も二十日月          那
  古里は北夕百舌鳥の声             宏
ナウ
 垂直に歩み忿怒の皺刻む            夏
  大き楕円の中に座したる            那
 染色体つまみ出されし箸の先          蓼
  春の疾風が発止赤鼻              宏
 四拍子十六秒で花が散る            夏
  パラグライダー我も陽炎            那


(平成六年四月十七日首尾 於東京新宿・三井ビルメヌエット)(「爛柯」第一号」)

 当時「寥艸さんの〝能面の裏〟の句、これこそ七名八体員外の空撓(そらだめ)の付けの見本と申すべく……」と東明雅先生から爛柯編集部にメッセージを頂いた。
 「連句辞典」(東京堂出版、昭和六十一年六月発行。編者・東明雅、杉内徒司、大畑健治)によれば、「空撓」は<七名八体にいう八体の員外として、付所の不分明な付け方をいう。無心に前句を吟じ返すうちに、前句とは何の付け筋もなくふと思い浮かんだ姿をもって付ける方法である。これは、一句の深層に潜む本質的な情感の感合によって成り立ち、一種の直観力による思考作用によって実現される。各務支考は……>とある。また、「俳文学大辞典」(角川書店、監修・加藤楸邨他 編者・緒方仂他、平成八年三月再版発行)には、<……。『俳諧古今抄』に「ひたすら目をふさぎ吟じ返すに、ふと其姿の浮かびたる無心所着の体」とある。いわば疎句の極み、匂付の典型を指すものといえよう>(宮脇真彦)とある。……ま、そういうこと。付き過ぎ(梅に鶯、月にススキ)の対極の付けか。しかし、これは寥艸さんだからできたことで、初心者が、あんまり何々付けをしてやろうなんて連句実作の現場でこだわっていると、連句一巻の運びが重くれる。
 駆け付け一句で初心者はいけばいいと思う(真摯にやっていれば、後は捌きがなんとかしてくれる)。
 初心者の方は東先生の「夏の日」(角川書店)(絶版?)や「連句入門」(中公新書)、山地春眠子先生の「現代連句入門」(沖積舎、平成六年八月発行)などがおすすめ。安藤次男の「連句入門 蕉風俳諧の構造」(講談社学術文庫、1992年12月刊)もおもしろかった。それ以外にもきりはない。
 空撓から話は離れて、芭蕉七部集の一つ「猿蓑」(去来・凡兆編、元禄四(1691)年七月 井筒屋庄兵衛刊、其角序、丈草跋)で、芭蕉の付けた脇三句は見事に場の句、他の句、自の句と付け分けられている。自他場についてはまたの機会に。(千年)
 
 鳶の羽も刷(かいつくろひ)ぬはつしぐれ   去来
  一ふき風の木の葉しづまる           芭蕉(場)

  
 市中は物のにほひや夏の月    凡兆      
  あつしあつしと門々の声      芭蕉(他)
 
 灰汁桶(あくおけ)の雫やみけりきりぎりす   凡兆
  あぶらかすりて宵寝する秋            芭蕉(自)