爆笑問題と中沢新一

憲法九条を世界遺産に」太田光中沢新一集英社新書 2006年刊)を社長が貸してくれたので読んだ。「憲法九条」「世界遺産爆笑問題の「太田光」「中沢新一」と、まるで連句の付け合いのような並びに、2週間くらいほっぽらかしていたが、読み出すと一気呵成。日本国憲法九条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。②前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」を発句に、太田と中沢の両吟、かけあいは、連句の本質を突くような発言が随所に飛び出すおもしろさ。
例えば、太田「・・その誤解をなくそうとやりとりをするのがコミュニケーションです。しかし、一方では「誤解をする」ことは、大切なことでもあるんですね。その誤解にこそ、人の個性があると僕は思っているんです。」・・・中沢「・・違う意識の構造を持った者同士が、誤解を伴ったディスコミュニケーションをすることによって世界は成り立っている。そこには、無数の誤解やずれがあるけれど、そのディスコミュニケーションの中で、この世界の豊かさがつくられているとも言えます」・・・太田「・・擬人化こそが愛情ではないかと思ったんです。物に対する愛着も擬人化です。・・犬を愛するのもひとつの愛着です。・・・人間同士も、相手を愛するためには、自分なりに相手の像をつくりあげて、理解し合おうとする。勝手に相手の像をつくりあげるわけだから、これもひとつの擬人化行為ですよね」・・・・・中沢「コメディアンとして、太田さんは、芸術に深く関わっています。芸術は、死とか死者とか、この世界にすでにいない者、一瞬僕たちに語りかけようとしてすぐに消えてしまった者との対話に、深く入っていこうとする行為なんじゃないでしょうか。」・・
いわゆる憲法論ではない、言葉、制度の下層を流れる、東西南北混じりあう認識・文化が語り合われていたり、芸人の髄のようなものが噴出したりで、傑作だった。宮沢賢治や、ときどき、田中くんも話題にでたりして、ああノ会に是非遊びにいらっしゃいませんか、と言いたくなる本でした。(千年)