爛柯編集部ー三鬼のガバリ  市川千年

 「白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って」前田速夫元「新潮」編集長(河出書房新社 2006年)の「死と再生の民俗」の項に「・・・ちなみに、藩政下の金沢で真夏の暑い時分、「ガバリ、ガバリ」の呼び声で売られた氷は「白山氷」と言い、延命長寿、無病息災の呪物として庶民に歓迎されたというから、それは、白山信仰以外の何者でもない。・・・」という文があった。西東三鬼の「水枕ガバリと寒い海がある」がすぐ浮かんだ。水枕に入れた氷からガバリという言葉が出てきたか、まさか・・・。数日後、神田神保町で偶然「西東三鬼読本」(角川書店 昭和55年4月臨時増刊)を手に入れ、その中の自句自解の最初に水枕の句があり、「昭和十年の作。海に近い大森の家。肺湿潤の熱にうなされてゐた。家人や友達の憂色によつて、病軽からぬことを知ると、死の影が寒々とした海となつて迫つた。」とある。白山由来のガバリではないようだが、俳人三鬼誕生の句のガバリと再生の意味合いのある白山氷=ガバリとが重なり合っておもしろかった。
 読本掲載の作品を読んでみて、三鬼には白を使った俳句が多いことが分った。以下すべて読本より引用してみる。


・「三鬼の出発」湊楊一郎 「西東三鬼の俳句の出発は昭和九年である。 白きもの海月となりてくつがえる(馬酔木昭和9年9月号) この頃「走馬燈」の同人であり「馬酔木」「京大俳句」あのなどの投句家であったが、秋に「新俳話会」ができて、意気盛んな若い俳句人らの多くと交際して限界が広くなっていった。・・・」

・句集「旗」より 昭和10年 あきかぜ「あきかぜの草よりひくく白き塔」・・「風とゆく白犬寡婦をはなれざり」「砂白く寡婦のパラソル小さけれ」 昭和11年 魚と降誕祭「東方の聖き星凍て魚ひかる」・・・「水枕ガバリと寒い海がある」・・病気と軍艦「吹雪昏れ白き実弾射撃昏れ」・・「砲音をかぞふ氷片舌に溶き」「アダリンが白き軍艦を白うせり」・・恢復期「白馬を少女瀆れて下りにけむ」・・・暗き日「暗き日の議事堂とわが白く立ち」・・・海浜ホテル「荒園のましろき犬に見つめらる」
 ・「空港」抄より 昭和10年 生い立ち「白き馬いゆけばうたふ青の朝」 昭和11年 雪「水枕ガバリと寒い海がある」・・「雪の夜は手を見てあかぬ長き病」

・句集「変身」より 「秋の暮大魚の骨を海が引く」(昭和35年

連句についてのコメントも
・「昔の人は連句によって無数の無季俳句を作った。季の力を借らず己の感動を短詩として表現することもできた。子規以降、俳人は季の助力なくして何も云へなくなつた。半身不随になって了つた。しまひには季そのものが詩だと思ふやうになつた。俳句はギリギリに煮つまつた短詩だから、その意味ではカレンダアが最高の詩集といふ事になる。かうして俳句は次第に人間そのものから離れていつた。 戦後の俳句は人間臭くなつた。・・・・・・・無季俳句は、無季俳句のための無季俳句ではない。人間の声を発するための道程に過ぎない。そして人間の声はいつでも超季的である。」(昭和25年・2「雷光」13号ー超季への無季)