歌仙「泣くなゴンシャン」の巻    川野蓼艸

 嘗て村野夏生がいて本誌にも文章を書いたり、自分の捌いた連句作品を載せていた時代があった。しかし彼は難病となり文学に生きる者が、考えている事が言葉にならないという地獄の苦しみに耐えながら亡くなった。彼の立ち上げた「あゝノ会」は衣鉢を継ぐ者達によって今も続いている。
 発起同人はそのままであるが、最近、若い人達が入ってきて俄かに活気を呈してきた。志治美世子は若手のフリーライター、田辺つる路は何と女性講談師である。田辺一鶴の弟子で現在二つ目であるが、近々、真打に昇進が決まっている。
 取り敢えず最近の作品をまづ掲げておく。


  「泣くなゴンシャン」の巻

冷房の「受胎告知」と尿意かな(川野蓼艸)
 窓の外には満つる青梅雨(瀬間文乃)
夏茗荷匂ひを発し繊切りに(市川千年)
 帽子投げれば水平に飛ぶ(田辺つる路)
天目の瑕に金色二日月(文乃)
 ヴィヴラートつけ蓑虫の鳴く(志治美世子

熟れゆくよ我が恋もまた酸き茱萸(ぐみ)も(文乃)
 脇正面にほてる横顔(千年)
前世の縁か掻き寄せ刺し通す(つる路)
 素数の様な溜息をつく(文乃)
今日をはぐらかしつつ冷やし酒(つる路)
 筮竹一本薄墨の闇(美世子)
国境を越える鉄路に冬の月(文乃)
 旅芸人らとぼとぼと雪(文乃)
高千穂の鬼神太鼓の轟いて(千年)
 ふはり羽衣浜に残りて(阿武あの子)
花求め海峡またぎ又またぎ(つる路)
 遠き陽炎近き陽炎(あの子)
ナオ
巣立鳥老父母の眉白かりき(千年)
 観世音連れ抜ける隧道(文乃)
バゲットの焼ける香りの漂ひて(あの子)
 泣くなごんしゃん墓は近いぞ(蓼艸)
ひっつめの髪に刻印された指(美世子)
 銀の皿には赤い唇(文乃)
氷雨降るグッドバイとぞ言ひにける(つる路)
 富岳百景似合ふ羅(あの子)
チチカカの湖遥か櫂すべる(文乃)
 森の欠伸の長き残響(千年)
調弦の弓の間を月昇れ(文乃)
 回転霧に速度増しゆく(美世子)
ナウ
そぞろ寒公証役場と黒運河(千年)
 宅急便で届く新蕎麦(つる路)
ビデオ屋に集ひて浅き夢を見し(あの子)
 山笑ひ過ぎ画像歪むよ(千年)
地球裂ける時まで吹雪け花よ花(文乃)
 虚空を蝶の群の横切る(あの子)


 平成十九年六月に巻かれた。西荻窪の酒屋さんの二階が遊空間という洒落た部屋になっていて、表六句が終ると下からビールを取り寄せ、大袈裟に言えば酒池肉林と相成る。
 北原白秋は少年時代に親友・白冬に自殺される。現場を見た白秋は以降血の色に恐怖を覚える。血の色をした彼岸花をも忌避する様になる。
 「ごんしゃん」は柳川地方の方言でお嬢さんを意味する。彼の詩「曼珠沙華」は悲痛である。どういう訳かこれでヒガンバナと読むらしい。
 ゴンシャン ゴンシャン どこへゆく/赤いお墓の曼珠沙華/今日も手折りに来たわいな、と始まる。問題は次の歌詞である。地には七本 血の様に/血の様に/ちょうど あの子の年の数。あの子は七歳で死んだのである。これはゴンシャンの子でないのは歌詞から明白だ。
 ひとつ摘んでも日は真昼/日は真昼/ひとつあとからまた開く、と続き、いつまで取っても 曼珠沙華/曼珠沙華/恐や赫しや/まだ七つ、で終わる。幾ら摘んでも彼岸花が七つも咲き残るというのは不気味だ。
 死んだ子の母親は、岡村喬生氏の推定では白秋の乳母で白秋が幼少の頃、チフスで死んだのだという。白秋はその乳母を慕い、自分の身代わりに死んだと思っていたふしがあるとか。
 まあここからナオの恋句は始まる。銀の皿の赤い唇はサロメを想起させ、一転、太宰治の世界に転じ、羅で終る。フォルテからピアニッシモに変り静かに終る。まあ自画自賛である。
 天目の瑕に金色二日月。この句は天目茶碗の罅に金を垂らして瑕を繕うのだが、それが二日月になったの意。
 田辺つる路さんは近く真打に昇格し、竹林舎青玉を名乗る。この日、文乃さんの紹介で初登場となった。
 まだ連句は西も東も分らぬと仰せだが、言葉を大切になさる職掌である。連句に打ち込む姿は真摯と受け止めた。ウの恋句で前世のえにしであろうか、ぐいとかき寄せて刺し通すあたり講談の世界ではないか。
 真打披露の会が三回開かれ、一同、今から応援に行こうと待ち構えている。美人であるから評判になる事、間違いなかろう。
 阿武さんも久し振り。阿武さんも志治さんも美人。市川千年がいなければ、私はアラブの王様なのだが、千年は勉強家でもあり、次の連句界を背負うべき大事な人材であるから私も勝手は許されぬ。リョーソー、リョーソーどこへゆく、である。(「俳句未来同人」121号 平成十九年八月号より)