村野夏生宗匠追悼連句会(平成十七年十月二十二日(土))

歌仙『山のくじらと海のいのしし』の巻  坂手手留捌


木犀のこぼれ落ちたる寂光土      市川千年
 たまゆらの声雁去りし闇        川野蓼艸
同時代走りつづけて水澄みし      篠見那智
 上り框に団扇捨ておく         小池 舞
月昇るアヴァンギャルドを朱に染めて  瀬間文乃
 あり余りたる知の忿怒 喝!      坂手手留

ゾウさんを追ひかけてゆく夏野原    ほしおさなえ
 大統領に届くマンゴー          葛木真史
イエスマンエスウーマン日本幸ふ   あんの透子
 炎に巻かれ影の抱き合ふ            真
恋文を貝殻に入れ蓋をする            蓼
 耳朶に残れる汐の音の美し           舞
存念を問はれてをりき寒満月           那
 スノーチェーンの鎖切断            文
とき放つサソリピラニアイグアナも        千
 霞ヶ関に軍靴再び                真
しんとして透けてゆきます花のなか        さ
 ブラックジャックによろしくと四月馬鹿     透
ナオ
物干してふり向けばほら山笑ふ          舞
 水面高きニューオーリンズ           那
傍に海軍航空兵たりし夫             仝
 くだらぬ思想針で突き刺せ           真
緊急に天使新聞発行す              文
 うなづくばかり祖母は縁側           仝
溶け出した二人地球の熱となる          真
 硝子体剥離ボクサーの愛            手
病みそめし『山のくじらと海のいのしし』     那
 しほさゐをききまどろんでゐる         さ
月明の熊野三山滝が鳴る             那
 高層階に待つ稲光                千
ナウ
蓮の実の飛んで沈黙(しじま)を深めたり     文
 弦きしみゐる風のうらがは           蓼
地震(ない)来ると地下の鯰の騒ぎたち      透
 小半(こなから)酒を舐め舐め生きる      舞
亡き人と夢中落花に語らひて           透
 ヒポポタマスのおぼろおぼろに         文



 題にいただいた『山のくじらと海のいのしし』は、村野さんの代表作の絵本のタイトル。私が、村野さんのことも現代連句のことも何も知らなかった時代、多摩の保育園で働いていた時、子供たちのための図書として園にあったものを手にとったことがあって、覚えていた。不思議はここから始まっていたのだと思う。
 発句は千年さんの仏教句をえらんだ。常寂光土に白い木犀の花がこぼれている。師はいま永遠の浄土におられるだろうか。脇は蓼艸さんが入院先から寄せてくださった中からいただいた。よく付いていると思ったので。
 第三はいつも難しい。離れなければならない。那智さんが人情の句に転じてくださったので、後が付けやすくなった。舞さんがさらりと四句目を出してくださり、その後、普通の歌仙なら等類は避けなければならないが、五句目六句目に村野さんをイメージするような句がつづき、第三と打越になってしまったのは、追悼歌仙だから仕方なかっただろうか。
 ウラ一句目。さなえさんが思いがけず来てくれて好い句を詠んでくれて、村野さんも喜んでくださったでしょう。鯨や河馬(ヒポポタマス)が村野さんはお好きだった。大きい穏やかな動物・・・・・・。象もそうだったでしょう。鯨は那智さんがナゴリオモテ九句目で、ヒポポタマスは挙句に、文乃さんが入れてくださった。
 いくら追悼でも少しは離れたいと思っていた捌の気持ちを読んだかのように、真史さんのマンゴーの句。その後、だいぶ離れられたと思う。
 花の座。村野さんが最も期待を寄せていた若いお二人、さなえさんと透子さんが美しい句を村野さんに捧げてくださった。いかにもそうだったでしょう。
 私も一句捧げたい。ただし、私の句ではない。近頃ごろ読んだ柳宗悦氏の『南無阿弥陀仏』(岩波文庫)から氏の晩年の短文のうた『心偈』六十二を引かせていただく。
 《吉野山 コロビテモ亦 花ノ中》
 宗悦氏の自註自解。「考えると、ころびつづけの身ではあるのだが、実はころぶその所が、花の上なのである。立とうが、座ろうが、つまずこうが、倒れようが、どんな時でも処でも、悉くが花の中での出来事に他ならぬ。実は荒涼たる人の世は、万朶の吉野山であったのである。行くところ、花に受取られる身であったのである。」                                                    (坂手手留)